岡野俊一郎氏の死去、三菱ダイヤモンドサッカーの名解説を偲ぶ(泣)

      2017/09/16


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日本サッカー界の重鎮、岡野俊一郎氏が、肺がんのため85歳で2日永眠されたとのことです。

日本代表監督をはじめ、国際オリンピック委員会(IOC)委員を長年務め、

日本サッカー協会会長も歴任、2002年の日韓W杯成功も氏の偉大な功績の

一つと言えるのではないでしょうか。

謹んでお悔やみ申し上げると共に、彼の半生や、ライフワークでもあった、

三菱ダイヤモンドサッカーについて振り返り、また昭和の偉人が一人

哀悼の意を表したいと想います。

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○ 岡野俊一郎の偉大なる経歴

okano~

 

1950年、東京都立小石川高等学校を卒業、東京大学理科II類に入学、

サッカー部に入部。

1953年、全日本大学サッカー選手権大会で優勝。

1957年、東京大学文学部心理学科卒業。

1962年、日本代表コーチとなる(当時の監督は長沼健)。

1964年、東京オリンピックで日本代表がベスト8の快挙を成し遂げる。

1968年、メキシコオリンピックで日本代表が銅メダルを獲得。

1970年、日本代表監督に就任(〜1971年)。

1974年、日本サッカー協会の理事に就任。

日本オリンピック委員会(JOC)の常任理事にも就任。

1987年、日本サッカー協会副会長に就任。

1990年、国際オリンピック委員会(IOC)委員に就任。

1995年、ワールドカップ組織委員会委員に就任。

1998年、日本サッカー協会会長に就任。

2002年、東アジアサッカー連盟初代会長に就任。

日本サッカー協会名誉会長に就任。

2003年、日本サッカーミュージアム初代館長に就任。

2005年、日本サッカー殿堂第1回受賞者に選ばれる。

「クラマーコーチ」の画像検索結果

クラマーコーチ

 

○ 岡野氏の足跡

 

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プレーヤーとしてはともかく、長年日本代表に参加し、コーチとしての戦績は

華々しいと言えましょう。 (東京五輪:ベスト8、メキシコ五輪:3位)

 

当時日本代表は、1960年からのデットマール・クラマー(独)による技術指導の

影響により、一定の技術水準には達しながらも、戦術や敵の情報に関しては、

全く物足らないもので、東大卒 岡野さんの海外人脈を生かした解析・研究が

大いに役立ったのは、言うまでもないところです。

 

また語学が堪能であったことから代表コーチに加え、クラマーの通訳という大役も

仰せつかっておりました。

 

ちなみに東京上野が本店、最中等でおなじみの老舗和菓子屋さん、岡埜栄泉が

ご実家であることはあまりにも有名です。

http://www.okanoeisen.com/

岡埜栄泉

 

○ ああ三菱ダイヤモンドサッカー

 

なんと言っても往年のサッカーファンにとっては、三菱ダイヤモンドサッカーで

ございましょう。 70年代は今ほどサッカー中継は日常茶飯でなく、ましてや

海外のプレイに目にすることは稀で、毎週末のこの時間が至上の喜びでありました。

 

こうした中、岡野さんの理路整然とした解説は、テレ東アナウンサー金子勝彦さんの

名調子と共に、サッカーの素晴らしさ、奥深さを啓蒙するに十分すぎる功績で

あったと言えます。

 

当時の解説まではサーチできませんでしたが、こちらの映像で当時を慮って

頂ければ幸い、故人の安らかなる永遠の眠りに捧げたいと想います。

 

 

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